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2度のリストラで北九州市に都落ちしたスキー馬鹿がパパになりました。 その育児日記です。
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「すっから菅総理」のスタンドプレー
飯島 勲 「リーダーの掟」

長文ですが・・・

なぜ不信任案が出されたのか

6月2日、菅内閣への不信任決議案が否決された。被災地から「なぜこのタイミングで政争をするのか」と批判の声が上がったが、私は直ちに菅内閣が退陣することが、東北の復興にとって近道であると信じている。被災地と永田町にこれだけの温度差が出てしまうのは、菅直人総理の繰り出すスタンドプレーが原因だ。

国家備蓄としてガソリンがあるにもかかわらず、被災地には届かない。タンクローリーが手配できない海江田万里経済産業大臣の指導力不足として、以前、この問題を本連載で指摘したが、結局被災地へガソリンを届けたのは、野党自民党の二階俊博衆議院議員だった。二階議員は業界団体に迅速に連絡を取り、経産省と被災地を結んだのだ。このことは、複数の関係者から証言を得ているが、二階議員はその成果について表立って誇るようなことをしていない。菅直人総理も、このような姿勢をとれば、官僚はこの人のために命をささげようと決意するものだ。しかし、自分の延命ばかりが気になって、部下の手柄を取り、怒鳴り散らすようでは人心は離れていく。浜岡原発停止、総理視察、太陽光発電など、PRに執念を燃やせば、その場の評価を得られる。ただ、政まつりごと事は一歩も進むことはできない。この数カ月間、そんな菅総理の実像を永田町や霞が関は嫌というほど見せられてきた。だから不信任決議案を出したのだ。

菅総理は、1996年に厚生大臣に就任し、薬害エイズ、カイワレ大根問題を通して広くマスコミに注目されるようになった。菅総理にとって唯一の「栄光の時代」について、今回私は真実を明らかにしたい。スタンドプレーの原型が、まさにこのときにできあがったのだ。

薬害エイズ訴訟は、95年にまだ十代の少年だった川田龍平さん(現参議院議員)が原告団の一人として実名を公表してからマスメディアでも注目が高まった。当時は自社さ連立政権で、対応にあたったのは日本社会党(現・社民党)の森井忠良厚生大臣だった。

森井大臣はこの事件を厚生省創設以来の危機ととらえて、どこかへ消えてしまった薬害エイズに関する資料を探し、毎日少しでも時間があると省内を歩いて回っていた。大臣の真摯な姿勢に打たれ、ヘタをすれば自分たちを不利な立場に追い込みかねない官僚たちも次第に協力するようになった。

当時、荒賀泰太薬務局長は、仕事を終え、退庁を示すランプをつけた後で局内を探し回っていた。
さらにその資料の捜索に、全省のノンキャリアが動きだした。官僚の働きについて、キャリア官僚ばかりが注目されがちだが、実務を担当するノンキャリアの実力は侮れない。ノンキャリアの人事には、大臣も事務次官も官房長も口を出せない慣習になっていて、その裁量はノンキャリアの“ボス”に任されている。どんなに優秀なキャリア官僚でも、ノンキャリアをバカにするような態度をとれば、仕事ができない部下を集められ、出世レースから脱落してしまうのだ。ノンキャリアの支えがあって初めて、日本の行政機構は機能する。

95年末には厚生省のノンキャリアの“ボス”の指示により、全省が一斉に薬害エイズ資料を血眼になって探し始めたのだ。森井大臣と荒賀局長の執念がノンキャリアを動かしたのだ。

しかし、年が明けた96年1月11日、村山総理の退陣を受けて橋本内閣が発足。森井大臣は退任し、菅厚生大臣が誕生する。

大臣が代わっても、資料捜索は続いていた。2月に入り、とうとう官僚の一人が“郡司ファイル”を見つけた。背表紙にボールペンの手書きで「エイズ」と記されていたのを、当時のニュース映像で見た人も多いかもしれない。発見場所は、薬務局から遠く離れた保健医療局の地下の倉庫の資料棚の裏。古い木造の建物から現在の合同庁舎5号館に引っ越しする際に、棚の裏に置き忘れられていたらしい。

このファイルは薬害事件発生当時の生物製剤課長・郡司篤晃氏が私的にまとめていたメモで、ファイルにはナンバリングもなく、公文書でないことは明らかだった。発見当時の多田宏事務次官と山口剛彦官房長(2008年、元厚生事務次官宅連続襲撃事件で死亡)は、資料の分析の必要性があるとみて、官房会議にかけようと、新しく就任した菅大臣に報告に行った。

しかし、菅大臣は資料を取り上げ、内容を分析することもなく、記者会見で「官僚がずっと隠していたものが、私が就任したから見つかった」とファイルを公表した。もし、ずっと隠したいのなら、菅大臣に報告をする必要はない。菅大臣が官僚を裏切り、スタンドプレーに走ったのは明白だ。

以来「総理にふさわしい人」として菅大臣はマスコミの寵児となった。一方でファイル探しに汗を流した前大臣は無能呼ばわりされ、キャリアとノンキャリの壁を超えて探し回った官僚たちは情報隠ぺいの犯人扱い。菅大臣はこのときから他人の手柄を横取りし、自らが発表するという手法を確立していたのだ。

厚生大臣時代を振り返るとき、もう一つ忘れてならないのが、カイワレ大根の風評被害事件だろう。
薬害エイズで人気絶頂となった菅大臣をO-157の食中毒問題が襲った。果断な発表は支持率アップにつながると、2匹目のドジョウを狙い「O-157の原因としてカイワレ大根の可能性が否定できない」と記者会見した。

あっという間に全国のスーパーからカイワレ大根が消え、カイワレ栽培農家は大騒ぎとなった。特に大阪の農園経営者は、厚生大臣ではなく、菅個人を訴えると激怒した。
あわてた菅大臣が思いついたのがカイワレを食べるパフォーマンスだった。しかし、関東地方の店先にはカイワレは一パックも残っていない。全国中を探し回り、ようやく数パックのカイワレが見つかった。あわててノンキャリアを買いに走らせたが、このときの交通費などが6万円かかっている。無論、国民の血税からの支出だ。

大臣がカイワレをドレッシングもかけずに涙目でむしゃむしゃと食べたところで、風評被害が収まるはずもなく、カイワレ農家は国を提訴した。

パフォーマンスの効果は、農園経営者の訴訟の被告を菅個人から厚生省に変更させた程度にとどまった。菅大臣にはそれでよかったのだろう。

最高裁は04年12月、国に賠償総額2290万円の支払いを命じる判決を言い渡した。菅は、カイワレに関して、合計で2296万円の損害を国に負わせたことになる。自殺者まで出したカイワレ事件。驚くべきことに最高裁で敗訴が確定しているにもかかわらず、本人はこれを成功体験ととらえているらしい。目立つことさえすればマスコミに賞賛される。それを感覚として知っているのだ。

菅大臣退任後、厚生省官僚のどん底まで落ちたモチベーションの問題は少しずつ改善されたが、ひとつ困った置き土産があった。クレーマー化した市民運動団体の来訪だ。本当に困っているのであれば、全力で助けるのだが、国を叩くことだけが目的の集団が押し寄せてくると手のつけようがない。

私自身が対応していて感じたのは、問題のある市民運動家には(1)すぐ言い返す、(2)すぐあげつらう、(3)すぐ怒鳴る――という3つの共通点があることだ。第三者が何か指摘すると、相手が口をはさめないほどのスピードで反論する。些細な矛盾を血眼になって探す。相手が納得しないと声を荒らげて怒鳴り散らす。相手をやり込めることが目的では問題も解決のしようがなかった。

震災後の菅総理を見ていて、市民運動家の3カ条に付け加える必要があると考えた。それは、上手く立ち回れなくなると、「すぐ誤魔化す」だ。


バンプラー菅唯一の実績と言われていたことすら、虚構であったということなんですね。

それにしても、これを読んで思ったのは、マスコミって本当にゴミなんだなって。

当時は、ネットもなく、新聞は真実を書くものと信じていましたので、ただ漫然と「菅大臣、良くやった」くらいのイメージしかなかったのです(でも、かいわれは、嫌々食べてるんだなと思っていました)。

マスコミは真実を報道していなかった訳ですね。
もしいや、自分たちも分からなかったんだとすれば、それは自分たちの取材能力のなさを証明したようなものです。

真実を伝えないマスコミ、取材能力のないマスコ、そんな連中が書く記事をお金出してまで読みたいですかね?

新聞なんて取らなくなるわけだ。
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奥さんの友人が東京から帰ってきており、家に遊びに来た。

別の友人もやってきて、みんなでさらに別の友人の顔を見に行こうと某区役所へ行った。

奥さんは地元の進学高出身だから、役所で働いている友人も多い。

保護課で働いている友人を尋ねた時のこと、

「すみません。○○さんいらっしゃいますか?」と奥さん。

すると声をかけた女性は、かなり怪訝そうな顔だったらしく、「○○さんとどのようなご関係ですか?」と聞かれたらしい。

そんなやりとりをしていると友人がやってきて、「あら、久しぶり」と声をかけるとその女性は、”あ~なんだ”という顔になった(奥さん談)

どうやらY君を抱えながら声をかけたものだから、生活保護の相談に来たと勘違いされたらしい。

僕は、奥さんみれば生活保護なんか申請する筈ないだろ!と思うのだが、その友人に言わせると、昔は外見で申請だなってわかったらしいけど、今は、そうじゃないらしい。

ここで生活保護の是非を書くつもりはないが、最初の女性が怪訝そうな顔をしたのもなんとなくその気持がわかるような気がします。

 本日は、ある事情から壮行会の幹事をやらされた。

正直、飲み会なんて行きたくないのだが、壮行会くらいやってあげないとかわいそうなのでそれは仕方がない。

飲み会の幹事をやったことがある人は分かると思うが、出欠をはっきりさせない奴は本当に迷惑。

以前、自分たちがやっていたサークルでは、とにかくいくら催促しても出欠を言わない奴がいて、言わないまま飲み会の席に当然のようにやってきたり、出欠の返事を催促するとまだ分からないとかいう言い訳をする奴とかで、本当に迷惑した。そもそも、おまえらそんなに忙しいのかよ!っていつも腹が立っていた。

幹事をやってことがないから無神経でいられるのだろう。

さすがに、職場の飲み会ではそんなことはないのだが、仕事でもどってこれるか分からない人がいて、終わり際に来たりする、連絡してくれればいいんだけど、そういう人間はそういう発想がそもそもないので、言っても理解できないのだろう。

でも飲み会に行きたくないのはそれが理由じゃない。

帰りが遅くなるとY君と遊べないんだよ。

飲み会とY君、比べる必要もないがY君が優先。飲み会なんかなくせばいいのに。

スイーツ世界大会で韓国が日本に嫌がらせ

1 :ニューソックスφ:2011/06/21(火) 21:28:44.70 ID:???0
2011年6月21日テレビ朝日系にて放送された「トリハダ(秘)スクープ映像100科ジテン」 にてスイーツ世界大会(WTPC2010)が放送された。

韓国チームは日本チームのケーキのチョコレートが固まらないよう 必要以上に冷蔵庫を開け日本への妨害を行ったため審査委員長から警告を受けた。

韓国キャプテンは日本チームへの妨害を行った理由を「我々は日本だけには負けたくないんだよ」としている。

このような妨害があったが、日本チームはスイーツ世界大会で優勝した。
日本チームのシェフは、韓国チームによる妨害について「逆に団結力が高まった」と話している。


関連リンク:WPTC2010チームJAPANオフィシャルサイト
http://blog.cake-cake.net/wptc/

えっ!!!と驚きました。

日頃から付き合う必要のない国と言っている私なので敵国人がこういうことをするのは全く驚きません。

そもそも敵国でスイーツが発展しなかったのは、豊臣秀吉太閤のせいですから。

何が驚いたかってイタリアが4位!敵国より順位が下ってどういうことですか!

23062110.jpg
 つかまり立ちしても自分では座っれないY君。

つかまり立ちが出来るようになったときは、立ち上がりまで時間がかかったが、いまではさっと立ち上がることが出来る。

どうやら自分が座ることができないことを認識し始めたらしく、

つかまり立ちして一通り満足すると、こちらへ振り返って、「座りたいから手伝ってよ」という感じで僕を見て手を差し出す。

ハイハイと言って抱っこしてあげる。

楽しいひととき
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なんかパパになってしまった。

子育てに奮闘中。

でも、スキーは諦めないぞ!
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