既に一週間以上意識のない義父だったが、早朝呼吸が弱くなっているとの連絡が病院からあり、奥さんを連れて病院へ(夏休みを取っていた)。
義父の呼吸は、昨日よりも弱く、間隔も長くなっていた。でも、ここはホスピスなので、空気を強制的に送るようなことはしない。酸素のチューブは鼻に差しているが、強制的に吹き込んだりはしない。
奥さんは、夕方の4時くらいまでしかもたないだろうと言っていた。
朝食を買いに出た。まだ気温は低いけど、日差しが強くて、公園ではセミの声が五月蝿かった。
病室に戻ると義父の兄弟などの親戚も来ていた。
時間がゆっくりと流れているようだった。お昼を過ぎると呼吸は更に弱くなった。
午後4時30分。義父の顎がカクン、カクン、カクンと頷くように動いた、と思ったら、呼吸が止まった。
この歳になって初めて人の臨終に立ち会った。
奥さんは泣いていた。義母も泣いていた。親類も泣いていた。でも、僕は泣かなかった。まあ、自分の父親が亡くなっても泣いていない奴なので。
正直、奥さんにかける言葉が見つからなかった。ただ、肩を抱いてあげるしかできなかった。
主治医がやってきて、死亡を確認した。主治医は2日前に亡くなっていてもおかしくなかったと言っていた。義父にはこの日でなければならない理由があったのだろうと。
ここで、義父の死を悲しんでいる暇はなかった。義父をお風呂に入れてあげたいとお願いしなければならない。夕方5時以降は人がいないので、やってはくれないからだ。
お風呂は、奥さんと義母の希望だった。二人で義父を洗ってあげて、お風呂に入れた。ヒゲも剃った。毎日お風呂に入っていた義父なので、一週間もお風呂に入れないのはさぞつらいことだったろう。
慌しく、葬儀屋に連絡。親戚縁者に連絡。ゆっくりと悲しんでいる時間はなかった。
葬儀屋が義父を自宅に連れていった。
その後、葬儀屋と打ち合わせ。ここでは出番なし。奥さんの親類縁者のことはまったくわからないので、ただ聞いているだけ。
葬儀屋によるとちょうどお盆なので、お坊さんを呼ぶのは難しいだろうとのこと。
夕食を頼もうと寿司屋に電話するが全部ダメ。親戚に買いに行ってもらう。
お坊さん到着。枕経をあげてもらう。通夜は明日の19時から。しかし、葬儀はお盆で多忙の時期なので帰らないとわからないという。
しばらくして、葬儀は、15日の11時からとの連絡があった。お盆のこの時期にこの時間でやってもらえるのは、寺の総代をしている義父自身のお陰だった。葬儀屋に連絡するとかなり驚いていた。16日のしてくれと言われるものと思っていたらしい。
食事をとり終えると親類は皆帰った。僕たちは一旦家に戻り、奥さんの実家に泊まった。
奥さんも義母も介護でかなり疲れていた。二人が眠る横で僕は線香を絶やさぬよう徹夜した。
葬式は、短時間で決めなければいけないことが多くて、ゆっくりと悲しんでいる暇はない。でも、その方がいいのかもしれないなと思いながら、線香を見つめていた。
そういえば、自分の母は人が亡くなるときには、バーンという音が聞こえる。でもその音を聞くことができるのは故人が一番かわいがっていた人だけだと言っていた。奥さんはこの音を聞いたのだろうか?奥さんの気持ちの整理ができたら聞いてみようと思う。
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