施工主は、◯和リース。となると何かお店ができるんだろうなと思っていた。
実際建物ができてくるとやはりお店らしい。
奥さんと何が出来るんだろうね、コンビニじゃないだろうし、レストランだったらいいね、などと話をしていた。
昨日、バスから降りて、帰宅途中、そこに看板が設置されていた。
そこにあったのは、とあるメガネ屋の看板。
え~、メガネ屋~と激しくがっかり。そのメガネ屋の向いにもメガネ屋があるのに・・・
最近、老眼が激しいので利用しないとは言わないが、僕達にとっては使えない店だ。
昨年結婚式をしたホテルからディナーの招待券が届いているのだが、Y君を放っておくわけにはいかないため、断念
美味しいお肉でも買おうかなと思ったが、脂肪分がおっぱいに影響するので、これまた断念。
じゃあ、魚介類しかないと思い、北海道からカニ、ホタテ、いくら醤油漬けを取り寄せた。本当はうにを食べたかったが、奥さんはうにやふぐの白子の味が分からないので、好きではないので、断念。
あ~また利尻島でうに食べたいな~。
タラバは焼いて、ホタテといくらで丼にした。ビールでも飲みたいところだが、急に車を運転するかもしれないので、断念。
それにしても、奥さんと出会ってから1年で結婚、義父が亡くなり、Y君誕生となんとも慌ただしい1年間だったけど、無事過ごせて良かった。
お墓は最近のように扉を鍵で閉めるタイプではなく、潜って納骨するタイプなので、年寄りと奥さんしかいないため、必然と僕が潜って納骨することに・・・
天井の石を開けて、潜るとものすごい湿気。排水口から長~い根っこが伸びていた。しかも日があたっていないせいか白い紐のようだった
安らかにお眠りください
線香を絶やさないよう、最近では渦巻き状のお線香がある。蚊取り線香みないなやつ。これを使えば12時間は大丈夫らしいけど、なんとなく普通の線香を絶やさないようにしていた。
遺体の前に祭壇がある。その横で奥さんは寝ている。義母は隣で寝ている。ここ1週間二人とも介護で疲れたんだと思う。
介護って受ける方も大変だけど、する方はもっと大変だと思う。自分の親でもない人の世話をする介護師さんたちには頭が下がる。
夢を見た。義父が突然ガバッと起き上がってびっくりする夢。また新しい線香を灯す。
フスマがカタカタっとなった。まだ義父の霊魂がうろうろしているんだろう。
朝早くからまた葬儀屋さんと打ち合わせ。昨晩は通夜の分だけ。
ほんと葬儀も金次第。祭壇、棺桶、骨壷、みんな金次第なんだよね。料理や香典返し等の種類や数を決めて、打ち合わせ終了。
義母の姉がやってきて、喪主は着物を着なければと言う。義母は着る気はなかったようだが、姉の言うことには逆らえず、着ることに。しかし、着るといってもなんか準備することがいろいろあるらしく、姉に怒られながら、準備をしていた。
義母の姉によると妊婦は、火葬場には行ってはいけないそう。火を見るとダメだそうで、火事なんかも見ては行けないとのこと。
少し寝ようと思ったけど、そんな時間もなく、一旦家に帰って喪服に着替えて、また実家に戻る。
実家に戻ると葬儀屋さんが棺桶に入れる準備を始めていた。服を着せたり、メイクをしたり。映画のおくりびとってこんな感じ?と不謹慎にも思ってしまった。
義父を棺桶に入れる。義父の肩は、ほんとうに細かった。
通夜の前に親族はこうしてくださいとの指導。
通夜が始まり、滞りなく終了。
料理が運ばれて来たんだが、どう見ても少なく感じた。案の定全然足りず、奥さんから買いに行ってもらえないかと言われる。
うん、行ってくるよ。何を買ってくると尋ねると、何でそんなに言い方が冷たいのか!と怒り出す。精神状態が安定していないのは分かるが、ちょっと凹む。
料理は、持ってきた人によると4~5人前だという。打ち合わせのときは、10人なら十分と言われていたので、話が違うと奥さんがまた激怒。
しばらくすると打ち合わせをした担当者がすっ飛んできて、平謝り。まあ、そりゃそうだろうな。素人の僕が見ても足りない量だったし。
親族も一人、また一人帰って、今晩も線香のお守りをすることに。奥さんと義母は家に返した。
僕は着替を取ってまた葬儀場へ戻った。
義父の弟夫妻と親戚の旦那さんと線香を見守る。
しばらくすると義父の弟夫妻は脱落。布団をしいて寝てしまった。奥さんの方はたまに起きてきたが、旦那は酒が入っているので爆睡。
親戚の旦那さんとしばらく話をしていたが、何時の間にやら黙って線香のお守り。
僕は本を読みながら、途中で明日の葬儀での挨拶文を覚えようとしていた。その甲斐あって覚えられたと思ったのだが・・・
3時くらいまでは眠気もなかったが、4時を過ぎるとかなり眠い。いちいち歩きまわって眠気を取る。
一晩中冷房の入った部屋にいたせいか体の調子がいまいち。親戚の旦那さんは、一旦着替の為に家に戻った。
お風呂があったので、朝方にゆっくり浸かる。なんか寝てしまいそうだ。
葬儀が始まった。葬儀も終盤にさしかかり、僕が挨拶する番だ。挨拶文はちゃんと覚えたし、問題なしと思ってマイクの前に立って、挨拶を始めると、葬儀場の人が、マイクはOKの意味なのか腕で輪を作ったのが見えた。それを見た瞬間、覚えた挨拶文が吹っ飛んでしまった。
やべ~と思ったが、全然思い出せない。黙っている訳にはいかないので、必死で思い出しながら、ゆっくりと挨拶をしたが、所々間違えてしまった。
なんとか挨拶を終えたものの覚えていたものの半分くらいを省いてしまった。極度の緊張状態にあるとなんでもないことで記憶が飛んでしまうらしい。いい経験といえばそれまでだが、義父に申し訳なかった。
最後に棺桶の中にお花をみんなで入れた。奥さんも義母も泣いていた。これが本当のお別れだ。
葬儀が終わり、火葬場へ。霊柩車の中でちょっと寝てしまった。
火葬場には、すでに3人の遺体が燃やされている最中だった。隣の女性の写真はまた40歳代くらいだった。
義母が点火のボタンを押した。火葬には1時間程度かかると言う。お昼を食べていないせいか、胃が痛い。
火葬が終わり、骨になった義父がいた。火葬場の人は、ここが○○骨、ここは××の部分、などと丁寧に説明してくれた。
みんなで順番に骨を骨壷に入れた。焼かれた骨は軽かった。
葬儀場へ戻り、親戚縁者で食事。今度は多めに頼んだので問題はなかった。僕の親族はお盆期間中のため飛行機が取れなくて、来れなかった。
奥さんの親戚は結婚式の時にあったことはあるけど、誰が誰やらほとんどわからない。奥さんもわからない人がいっぱいいると言っていた。
実家に戻り、祭壇を設置してもらい、とりあえず葬儀は終了。いろいろな整理を終えて、家の帰る。
風呂から上がり、奥さんが見ていたテレビを見ると財界が出資した中高一貫教育の学校が紹介されていた。自分の子供はこんなところに入れたいねと言うと、奥さんは、ここにいる子たちは確かに頭はいいし、回りもそういう子だちだけど、社会に出ると回りはこういう人たちじゃないから、その落差にガックリするんじゃないかなと言っていた。
まあ、その学校に行けるくらい勉強ができるといいんだけどね。
ここ2日ほとんど寝ていないので、ベッドに入るとすぐに記憶がなくなった。明日の朝はゆっくり寝よう、そう思っていた。
既に一週間以上意識のない義父だったが、早朝呼吸が弱くなっているとの連絡が病院からあり、奥さんを連れて病院へ(夏休みを取っていた)。
義父の呼吸は、昨日よりも弱く、間隔も長くなっていた。でも、ここはホスピスなので、空気を強制的に送るようなことはしない。酸素のチューブは鼻に差しているが、強制的に吹き込んだりはしない。
奥さんは、夕方の4時くらいまでしかもたないだろうと言っていた。
朝食を買いに出た。まだ気温は低いけど、日差しが強くて、公園ではセミの声が五月蝿かった。
病室に戻ると義父の兄弟などの親戚も来ていた。
時間がゆっくりと流れているようだった。お昼を過ぎると呼吸は更に弱くなった。
午後4時30分。義父の顎がカクン、カクン、カクンと頷くように動いた、と思ったら、呼吸が止まった。
この歳になって初めて人の臨終に立ち会った。
奥さんは泣いていた。義母も泣いていた。親類も泣いていた。でも、僕は泣かなかった。まあ、自分の父親が亡くなっても泣いていない奴なので。
正直、奥さんにかける言葉が見つからなかった。ただ、肩を抱いてあげるしかできなかった。
主治医がやってきて、死亡を確認した。主治医は2日前に亡くなっていてもおかしくなかったと言っていた。義父にはこの日でなければならない理由があったのだろうと。
ここで、義父の死を悲しんでいる暇はなかった。義父をお風呂に入れてあげたいとお願いしなければならない。夕方5時以降は人がいないので、やってはくれないからだ。
お風呂は、奥さんと義母の希望だった。二人で義父を洗ってあげて、お風呂に入れた。ヒゲも剃った。毎日お風呂に入っていた義父なので、一週間もお風呂に入れないのはさぞつらいことだったろう。
慌しく、葬儀屋に連絡。親戚縁者に連絡。ゆっくりと悲しんでいる時間はなかった。
葬儀屋が義父を自宅に連れていった。
その後、葬儀屋と打ち合わせ。ここでは出番なし。奥さんの親類縁者のことはまったくわからないので、ただ聞いているだけ。
葬儀屋によるとちょうどお盆なので、お坊さんを呼ぶのは難しいだろうとのこと。
夕食を頼もうと寿司屋に電話するが全部ダメ。親戚に買いに行ってもらう。
お坊さん到着。枕経をあげてもらう。通夜は明日の19時から。しかし、葬儀はお盆で多忙の時期なので帰らないとわからないという。
しばらくして、葬儀は、15日の11時からとの連絡があった。お盆のこの時期にこの時間でやってもらえるのは、寺の総代をしている義父自身のお陰だった。葬儀屋に連絡するとかなり驚いていた。16日のしてくれと言われるものと思っていたらしい。
食事をとり終えると親類は皆帰った。僕たちは一旦家に戻り、奥さんの実家に泊まった。
奥さんも義母も介護でかなり疲れていた。二人が眠る横で僕は線香を絶やさぬよう徹夜した。
葬式は、短時間で決めなければいけないことが多くて、ゆっくりと悲しんでいる暇はない。でも、その方がいいのかもしれないなと思いながら、線香を見つめていた。
そういえば、自分の母は人が亡くなるときには、バーンという音が聞こえる。でもその音を聞くことができるのは故人が一番かわいがっていた人だけだと言っていた。奥さんはこの音を聞いたのだろうか?奥さんの気持ちの整理ができたら聞いてみようと思う。
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子育てに奮闘中。
でも、スキーは諦めないぞ!